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第17回:【ストレスはオモウ?カンガエル?】
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前回は「思うこと」と「考えること」の違いについて、
「??????????」
を置いてこの場を立ち去りました。
あなたの中で、
「思う」と「考える」はどのような定義づけで、
機能として、どのような役割分担がされていますか?
この質問に対して、
あなたの答えはどうでしたでしょうか?
この違いを分かることは、
「ストレス」の扱い方を知る上で、
とても大切なことです。
なぜか?
まずは、
ココロの流れから考えてみましょう。
【何かの事象や事実を前にして】
1:感情が湧き上がってくる。
そこで、
○自分の気持ちを手に取り、
2:私はこんな感情を抱きがちだ。と自ら気付く。
(怒りやすい。人に依存しやすい。etc)
○自分の心の傾向に気付き、
3:その心の傾向に基づいて湧き上がる感情の扱い方を知る。
○ストレス耐性をつけ、
4:より多くのココロの扱い方を知ることにより、
○人の気持ちにも注目できるようになる。
このような流れが、人のココロには、
大きく捉えてコミュニケーションには、起こっています。
ここで、「思う」と「考える」を、
ザックリと定義してみましょう。
驚くことに、辞書にははっきりと違いが書かれてません。
畏れ多くも、私の考えを下記に述べさせて頂きます。
まず、
「思う」は、感情がふと湧き上がってくるイメージです。
人によっては降りてくるイメージの方が近い人もいます。
どちらかと言えば受動的ですね。
一方、
「考える」は感情を踏まえたり、時には踏まえずに、
思ったことを煮詰めるイメージです。
自分から向かっていく能動的なニュアンスがあります。
「感じる」という言葉、状態をイメージしてみると、
二つの違いがはっきりするかもしれません。
「感じる」は、「思う」に近いですよね。
以上から、
少しおおざっぱですが、
○向こうから来る=思う・感じる
○こちらから行く=考える
と分けられるかもしれません。
例:雪を冷たいと思う
:雪を冷たいと考える
こんな例の違和感からも上記のことが読み取れます。
そして、ここで考えたいのは、
「考え方=ココロの扱い方」に近い。ということです。
ストレスは、「思う」に近いですよね。
感じて抱えるものです。
ただ、その扱い方は、「考える」事でできるものです。
感じ抱えたものを、どのように自分の中で変換していくか。
もちろん、「思う」と「考える」の双方が重なり合って、
難しいことが多いのが、この社会や人生です。
ただ、この2点は、
自分の中で注意して役割を分けてみると違ってきます。
考えなければいけない時にただ思っていたり、
思わなければいけない時に考え込んでしまったり。
そんなことありませんか?
何かリズムがおかしいな、と思った時、
少し落ち着いて感じてみて、考えてみてください。
さらには、人の「思い」や「考え方」と、
自分の「思い」や「考え方」を比較していく中で、
分かっていくことも多いでしょう。
これも、コミュニケーションの本当の楽しみ方の一つですね。
人間が人間のそばにいてくれることは素晴らしい。
あなたの中には、何が残ったでしょうか?
思い?
考え方?
以前、ストレスの扱い方について述べたことがありましたが、
もっと根本的な部分で、哲学的にこういったことを考えることが、
「やり方」より大切な「あり方」を身につける手段になると思います。
そんな意志もこめて。
今回もありがとうございました!
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ココロ熱くお待ちしております!!
はたして人は、
「不徳」なくして「徳」を、
「憎しみ」なくして「愛」を、
「醜」なくして「美」を考えることができるだろうか?
実に「悪」と「悩み」のおかげで地球は住むにたえ、
人生は生きるに値するのである。
〜〜アナトール・フランス〜〜