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第66回:【体験ってなに?〜前編〜】
こんにちわ。
心理カウンセラーの佐藤です。
自分とは何か?
この感情は何だろう?
人と繋がるとは何か?
こんな心の繰り返しを日々行いながら、
大きな景色や自然の畏怖に心をなだめ生きています。
唐突に詩から始めます。
==
色々な考え方があるだろう。
色々な色の思い方があるだろう。
十人十話だ。
うん。知っとる。
あの大きな大きな海を前にして、
希望という名の空の見え方を知るんだ。
そんな人間もおれば、
広く澄んだ空の青さに、
自分の過去を親を
その親が生んだ過去をも
のろい始める少女がおる。
すべてがちがい、
ちがいのままいきる。
すべてが生きて、
死だけをたしかなこととして、
ちがいのまま「ちがう行為」をする。
ぼんやりと
ときに
くっきりと
めいめつする
たようせい
==
様々な生き方、考え方が交錯する人生の中で、
人間関係は進み、時に途絶え、また愛し愛されをはじめる。
それは、個の違いが確立されてこその話です。
文部科学大臣に就任した田中眞紀子さんが、
「今の日本は多様性を大切にするべきだ」
とおっしゃいました。
僕は、この「多様性」という言葉が大嫌いで大好きです。
僕も追いかけている最中で、
こたえは僕の中にしかありませんが。
今回と次回では、「体験」をメインテーマに、
「生きている実感」と「個の確立」について書いていきたいと思います。
現代は、情報があふれ、物質があふれ、
体験の貴重さが見えにくくなっています。
本来、この体験の質が「生きている実感」と「個の違いの確立」を生むのですが、
情報による擬似的な体験(わかったつもり)が、
自分という個の実感、違いを分かりにくくしてしまっています。
これが極端になっていくと、
生と死の区別が分かりにくくなってしまう。
自分の痛みが理解できず、
同時に人の痛みを理解できなくなってしまう。
「生きている実感の欠如」は、人間の活力を奪います。
それは心の弱さに繋がります。
現代、
若者はがんばらなくなったと言われますが、
時代のせいにしてはいられません。
確かに、激しく生きることは「美」とされなくなっているかもしれません。
行動で示してきた、大好きな熱い心を持った人たちが、
「自分の美学」を信じられなくなっていく世の中です。
僕もそうです。
なぜか?
それは体験を重視しなくなったからだと僕は考えます。
分かったつもりに慣らされていると、
行動する前に一歩を出すことが無くなってしまいます。
検索すれば体験に近い何かは得られる。
でも、、、
本当にそれでいいのでしょうか?
今回は疑問を投げて終わりにしたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
みなさんの健康と健闘を祈っております!
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ココロ熱くお待ちしております!!
私たち自身の「時間」だったはずのものが、
すっかり別の何かに縛られている感じもします。
社会生活を営むためには、もちろん時間厳守でなくてはなりませんが、
そもそも自分は「自分の時間」で人生を送っているのかどうか、
考え直してみることも大事です。
〜〜 佐藤雅彦「プチ哲学」より 〜〜