佐藤由明プロフィールはコチラ
第5回:私の私による私のための「義」
『話しかけるように、
揺れる柳の下を通った道さえ、
今はもう、電車から見るだけ』
そんな素敵な歌が聴こえてくる季節となりました。
地下の駅から地上へ出ると、
微量の光の反射を受け、
窓に映し出される私の首元を、
するりと春日が滑り落ちました。
緩やかに拡がる甘い空気の中、
「春の息吹=つぼみ」に嫉妬して涙する私は、
修羅を気取った甘い春のようなものです。
春がもうすぐそこまで来ています。
皆さん、どんな別れや出会いがあるのでしょうか?
すでに1年の6分の1が、
終わってしまった!という時の速さを感じながら、
ゆっくりとした時の流れを、
つぼみに感じていられるような、
そんな心の状態でありたいものです。
といいながらも、
時代が混乱し、不況はもとより、
首相が元首相への「義理」を無くしてしまっているような現在の日本。
これは大変怖いことだと思います。
義理堅い国で生まれた人が、
義理堅い心をどんどん失っていく。
そんな時、とても大事な言葉を、
とある社長から頂いたので、
その言葉を受けて考えたことを、
今回は記したいと思います。
【利を見ては義を思い、
危うきを見ては命を授く、
久要、平生の言を忘れざる】
訳:もし利益より正義を優先し、
危険に身命をなげうつ覚悟があり、
昔交わした小さな約束までも忘れないようにするならば、
完成された人物と言って良いだろう。
そういった意味の言葉です。
ただ、今回「ハッ」としたのは、
もっと読み込むと、
以下のような意味があると聴いたからです。
「利を見ては義を思う」
訳:利益を得るに当たっては、
それが社会正義に叶うものなのかどうかよく考えなさい
要は、利を全面的に否定するわけでは無く、
義に叶う利か?義に背く利か?
の違いがあるということです。
私たちには生活があります。
守るべきものや、欲もあります。
そういった意味でも、
現代のような時代に、
まさに重要なことだと思いました。
さて、
あなたにとっての「義理」とはどういったモノでしょうか?
そして、
この言葉を受けて私は以下のようなことを考えました。
●「利=ポジティブ」
●「義=ネガティブ」
何?と思われると思うので、
以下に説明を柔らかく書かせて頂きます。
「義理」というものは、
個人の自制心から始まります。
自分を知るために、
果たすべきことを前に現状を把握し、
果たすべきことが果たせるように自らを鼓舞し、
社会や大切な相手のことを敬う心が「義」です。
本気で「義」を果たそうとすると、
ネガティブな部分にも大いに注目することになります。
リスク定義のようなものですね。
ポジティブシンキングの前に、
ネガティブチェッキングありきなはずです。
自分の現状を知ろうともせず、
何のリスク回避もせず、
つまりはそれは「義にかなった利なのか」を考えず、
ポジティブシンキングのみを信じ、
本やメディアに躍らせられてしまっているようでは危ない、ということです。
形の無いお金が力を持つ時代も、
近い未来、終わりを告げます。
そんな時、
「利を得るために義を確認する」
これはとても大切な心の在り方です。
そして、
さらに突き詰めると、
こんな時代だからこそ、
人との間の義理を果たすのもとても大事ですが、
自分に対しての義理を抱き貫き、
自分に対して「義」を果たせるようになれれば、
ということも言えると思います。
順序として、
「自らの心の義」が確立されれば、
社会や人との関係はスムーズになります。
転職活動は、まさにそういった過程だと思います。
そこに光があります。
そんな願いや祈りを込めて今回は幕を閉じます。
今回も長くなってしまい申し訳ありません。
読んで頂きありがとうございました!
またお会いしましょう!
佐藤までのご意見、ご感想、悩み事などなど、お待ちしております!
こちらまで!
↓
http://satoyoshiaki.com/
shukatsu@poeganezia.jp
ココロ熱くお待ちしております!!
【利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授く、久要、平生の言を忘れざる】
〜〜孔子:憲問第十四の十三(仮名論語207頁)〜〜