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第7回:とある心理カウンセラーの面接論:前編〜感情を交えて〜
「したいように」と「思うように」のバランス。
巷には溢れすぎている。
「したいことをしよう!」
「君の未来は君のものだ!」
等々の、一見「キラキラ」した言葉達。
責任感の無い「キラキラ」が、
人生にとって、未来において、
一番危ないと思うのは私だけではないはずだ。
リアルに存在しないお金を転がしてしまった結果が、
現在の世界経済の破綻を招いていることは明らかです。
「人」にしても同じだと思います。
リアルに有るわけでも無い煌びやかさは、
人をダメにする最大の原因です。
唐突ですが、
最近、無表情に怒ったり、無表情に喜んだりする人、
つまりは、「無表情に表現をする人」が増えていると思いませんか?
頭では、キラキラを追い求め、
感情がついていってない。
頭ではクールに、キラキラしたいようにして、
感情は、、、つかみ取れない。伝わってこない。
『お金を求めてもクールじゃない』
『情熱を訴えるのもクールじゃない』
『恋愛に真剣になるのもクールじゃない』
『親や子を本気で愛すなんてクールじゃない』
感情は一切語らず、
そういうものだと頭でっかちな知識をふるう。
時代に踊らされ、
表情を殺してきてしまったそんな人たち。
あなたのまわりにもいませんか?
「したいことをしよう!」
一見、これはクールですが、
したいことをすることが、
どれだけ大変なことかはすべて消されてしまっている。
生活を守るために、
生活を豊かにするために、
その先で心を豊にするために、
どれだけお金が大切か。
情熱を人々に訴えることがどれだけ難しいことなのか。
人と分かり合うためには、
相手を、そして、自分をどれだけ理解しなければならないか。
さらに、その行為がどれだけきついことなのか。
好きな相手と愛し愛されるためには、
どれだけ犠牲を払わなくてはならないのか。
本気の愛を伝え、表現し、
一点の曇りも無く、相手の感情を汲み取るためには、
どれだけの時間と精神、労力がかかるのか。
現実世界で親や子を守るためには、
自分はどのような役割を持って、
どの判断基準の元に、
どんな意志を持って向き合っていけばいいのか。
「したいこと」をするための「はじめの一歩」の苦しみが、
どこにも表現されていない。
泥臭さに似た「苦しい」「嫌だ」という感情が、
人間をつくる大事な要素だということはどこにも語られない。
それらが、感情を把握する器の無い人間を創りだしていく。
インスタントにデジタルに。
何の責任も取れない「ポジティブシンキング」に姿を変えて。
私は、人の感情の部分こそ、
めんどくさくアナログ的にならなければいけない、と思う。
文化はそうやってできてきた。
人のどろどろした感情をそのまま、
それこそリアルに、
「そうだよね。それあるよね。人として。」
と表現してきた物が、人の心を浄化し、
「涙=ありがとうの粒」を流す。
歴史に残っている文学は、
不条理や苦しみ、矛盾を美しく表現した物ばかりだ。
それが人間の本質だと思う。
人間に唯一、決められている未来。
「死」に向かって、人はそれらを追いかけていくべきだと思う。
それが、あの「愛」に向かう道だから。
「したいようにすること」と、
「思ったようにすること」は全く違う。
責任や覚悟が伴うことを大前提として、
思ったことをふまえた上で、
したいようにしなければならない。
「頭」と「感情」がかけ離れてはならない。
このような考えは、暑苦しすぎるのだろうか。
なぜ、世界がこんなに混乱しているのか。
どこかで、
知識や策略といった頭でっかちが支配したからだ。
『日本を今一度せんたくいたし申候』
そんな感情的な言葉が、
日本を、世界中を震わせる、
そんな時代が来ればなあ。と。
今日という一日の夜明けに、
世界の夜明けを思いながら、
詩人カウンセラーは一人思うのです。
暑苦しくたっていいじゃないか。
人というものは、
「心」一つ、誰もが絶対に持っているんだから。
と、今回は私の個人的な思いをふまえ、
面接論というよりも、
感情論を述べさせて頂きました。
次回は、
「とある心理カウンセラーの面接論:後編〜心理学的背景を交えて〜」
というタイトルで、科学的根拠も交えながら、
面接で最も大切なことをお話ししたいと思います。
今回もお読み頂き、
ありがとうございました!
またお会いしましょう!
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〜同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本(タイホン)をたて、
日本(ニッポン)を今一度せんたく(洗濯)いたし申(もうし)候〜
〜〜by 坂本龍馬〜〜