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第24回:【日本の家族】
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
「負う」「抱く」と書いて「抱負」
皆さんはどんな思いを負い、抱きしめましたか?
私は、
「おかげさまを歌い、思いを花にする」
ことを成し遂げたいと思っています。
私は、
「おかげさまです。」
という言葉が大好きです。
年を重ねるごとに、
この世の中のほとんどの事象は、
「おかげさま」で成り立つということに気づきます。
逆に、「おかげさま」と思われるような
人間でありたいという自警の念も強くなってきています。
それが本物の思いを本物の形にする唯一の道であるとも。
そんな中でも「おかげさま」の基本は家族です。
年明けの一本目は、私が日本の心や教育を思索する上で、
最も大切だと思う点からスタートしたいと思います。
それは、家族の定義。です。
ここで、
【父親の力 母親の力〜「イエ」を出て「家」に帰る〜河合隼雄著】
より文章を引用させて頂きます。
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なぜこのように家族の問題が日本には多いのだろう。
思い切って単純に言ってしまうと、欧米の影響を受けて、
日本人の価値観、家族観が急激に変化しつつあること、
および、経済的に急激に成長して物質的に豊かになり、
そのために日本人の生活様式が変化したが、それに見合う生き方が考えられていない、
ということの二点が、大きい要因であると考えられる。
まず第一に、日本人は古来から、
「イエ」(家名)を大切にして、
家名の存続ということを第一義と考えて生きてきた。
人間にとっては、自分の死後もなんらかの永続性とつながっていると信じることが、
安心して生きていくために必要なことであり、
自分の死後も「イエ」は残り、その「ご先祖」として子孫に祀られると
信じることが、
その人のこの世の生を支えるものであった。
しかし、欧米の文化に接触した日本人は、
とくに敗戦を経験したこともあり、欧米の文化から影響を受け、
「イエ」の束縛を逃れ、「個人」を大切にして生きていこうとする考えに変わってきた。
一方、ヨーロッパ近代に生まれた個人主義はキリスト教の倫理観に裏付けられているので、
欧米では個人主義が単純に利己主義になることを避けることができた。
そして個人主義が長い歴史の中から生まれてきただけに、
個人主義によって生じる「孤独」や「孤立」を避けるために、いろいろな工夫や努力をしてきた。
ところが、日本人はそのあたりのことを考えず、
表面的な真似だけをするので、非常にゆがんだ形の個人主義が生まれてきて、
これが家族問題の生じるもとになっている。
次に、急激にモノが豊かになったため、
日本人の生活様式が急速に変化してしまった。
これは、単に生活が変わったということのみならず、
日本においては古来から日常生活の中に
宗教的教育や道徳教育などが潜在的にうまく取り込まれていたのだが、
それらがだんだんと破壊されていくという結果を招くことになった。
一例をあげると、「もったいない」などということは、
日常生活の中でよく言われることだが、
これには宗教的な意味合いがある。あるいは分け与えあうことや、
辛抱するということが自然に教えられたのに、本質がずれるとこれらの考えも破壊されてしまう。
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これはまさに敗戦後の日本を象徴する見解であると思います。
アイデンティティの喪失をしたまま、
グローバル社会に引きずり込まれている日本。
しいては、日本人。
個人主義と利己主義の違いを、
日本人は、日本は、深く考えてきたでしょうか?
日本で生まれ、日本人の心を育む上で、
この見識・胆識はとても大切なことです。
今年のこの場での抱負として、
私はしつこく日本の心を語っていくつもりです。
それは子供たちの未来のためであり、
このどん底の世界でこそ、
本来の日本人の精神が世界で必要とされるはずだからです。
序章にもならない序章となりましたが、今回はこの辺りで。
親になる日も近い、
今月結婚をする、とある大先輩へ。
そして大切な人たちへ。
愛をこめて。
心ある問題提起を続け続ける意志を添えて。
佐藤までのご意見、ご感想、悩み事などなど、お待ちしております!
こちらまで!
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ココロ熱くお待ちしております!!
世界平和のために何ができるかですって?
家へ帰って、あなたの家族を愛しなさい。
〜〜マザー・テレサ より〜〜