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第55回:善と悪、2つで1人
私のもう一つの仕事、
企画・制作等のクリエイティブ(WEB)を例に考えてみます。
WEBサービスで、
永く続くものが、なかなか存在しないのは、
「自分の魂につながる」をやれてるものが無いからだと思います。
(といいながら、まだまだ弊社も創れてはいないです。)
例えば、
2チャンネルは、ときおり、
人間の悪をうまく表現できています。
感情を吐きだせています。
彼らは、悪い感情を抱く自分も、
自分の中にいるということを受け入れています。
自虐表現をしても、
一つの自分への許しとして活用している。
懺悔をするかのごとく。
悪の感情を自分で見れることは、
一つの自分の魂への近付きです。
昔は、小説や芸術が、その役割をしていました。
人間が命や世界、
他人ともっとつながっていた時代の話ですが。
だからこそ、自分とつながるしか答えはない。
人を愛したければ、人とつながりたければ、なおさら。
そして、今は、
「死」や「自分の弱さ」との距離が近かったころ、
「死」や「自分の弱さ」が隠されてなかった時代とは違う、
「感情」や「こころ」を見ないようにできてしまう今。
旅や資格やエネルギーや、
駅やアイフォンや隣人や。
外の世界のいたるところで、
自分を探しても、自分は見つからず、より見えなくなる。
自分に潜ることによって、
そこにある自分に出会う。
ということを、これからは、しなければなりません。
痛みや快楽、
喜びや破壊など、
すべてをひっくるめたものが自分だと知ること。
自分と向き合い、
自分で自分を受け入れ、抱きしめること。
それはとても苦しく、
地獄を垣間見ることかもしれません。
岡本太郎さんは、こう言いました。
『死はただ生理的な終焉ではなく、
日常生活の中に、瞬間瞬間に、たちあらわれるものだ。
この世の中で、自分を純粋に貫こうとしたら、
生きがいに賭けようとすれば、
必ず絶望的な危険をともなう。』
と。
次回は、もう少し、
上の言葉にあるような世界に入って行けたら嬉しいです。
今回も、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。
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「強烈に生きることは常に死を前提にしている。
死という最もきびしい運命と直面して、
はじめていのちが奮い立つのだ。」
〜〜 岡本太郎 「自分の中に毒をもて」 〜〜