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第56回:世界に向かって爆発する命
「死」とは何か?
感情は、細胞は、毎日、死んでいます。
その上で、再生をくりかえしています。
そして、
その肉体に宿る精神も、
その精神に宿る魂も、
死に、生き、をくりかえしています。
それこそ、
ある詩人は言いました。
『肉体後に現れる理解者を待てないんじゃ、
いつまでたっても、俺も君も、あの人には勝てないな。
100年に一度のどんな発明にしても99年も待ったんだ。』
命に近づいていくとはそういうことかもしれません。
地獄を受け入れ、
目に見える何かが死に、
目に見えない何かが生きること、を喜ぶことかもしれません。
ここに意識を向けると、
「隣人は本当に隣人なのか?」
という思いに行き着きます。
人は、どこまでいっても、究極は他人です。
一人で生まれてはないかもしれないが、一人で死ぬ。
家族は血の繋がりがあり、
似ている点もありますが、
まったく同じ人間か?
といったら大きく異なります。
遺伝子をはじめ、
環境やさまざまな理由により、同じ人間はいません。
ただ、すべてを超えて、
あるがままの自分を受け入れたとき、
この定説は、逆転します。
きっと。
僕も一人でしかないから、
「きっと」でしかありませんが。
とことん孤と独を受け入れ、
自分のルーツを、命のルーツを、
自分の帰るところを、心から「自分だ」と決断した時、
その命は、世界に向かって爆発します。
他人との境界線が無くなります。
福島と自分、
仕事と自分、
愛する人と自分、
自分ともう一人の自分、
これらの境界線が超えたとき、
「すべて」とつながります。
過去も、現在も、未来も、つながります。
意識があれば、どこにでもいける。
心さえあれば。
人間とは面白いもので、
「今」を肯定すると、
「過去」が自分を創ってくれた、温かいものになり感謝が生まれます。
「未来」は期待と希望に満ちたワクワクの対象になります。
逆に、
「今」を否定すると、
「過去」は後悔の多い、自分を苦しめた対象になります。
「未来」は不安に満ちた、恐怖の対象になります。
すべては、現在、
「今の自分」が創っているのです。
そして、
「今」に対して感じたものを、
「自分」に向けて感じたとき、
同じように、自分に期待と感謝が生まれ、、
何よりも、
周りの人や、世界との違いが明確になり、
その分、認められ、同化してくるのです。
「違い」を違いとして認めることができるようになる。
そして、
それは、
すでに、
すべてを受け入れることになっている。
すべては一つで、一つはすべてです。
意識があったらどこにでもいけます。
熱くなってしまいました。
生きることは長く、深い。
今回はこのあたりで言葉を終えます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。
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あれが見つかった
何が? 永遠
太陽と溶けあった
海のことさ
ぼくの不滅の魂よ
おまえの誓いを守るがいい
独り身の夜と
燃える昼にはおかまいなしに
従って 世間の評判からも
月並みな方向からも
己を解き放って
気ままに飛んでゆくがいいのだ…
望みもなければ
復活の祈りもない
学問と忍耐 つまりは
責め苦こそが必定だ
もはや明日はない
サテンの燠よ
おまえの灼熱こそが
果たすべき務めなのだ
あれが見つかった
何が? 永遠
太陽と溶けあった
海のことさ
〜〜 アルチュール・ランボー「地獄の季節」 〜〜