5人生の将来展望を描く
5.1 予測発想と願望発想
(1)人は未来のことを知ることはできない
人は現在という時間の中を生き、その現在は瞬時にして過去になってしまいます。そして1秒たりとも未来のことをあらかじめ知ることはできません。たとえて見ると、先のまったく見えない草深い草原を歩くようなもので、自分の前には道はありませんが、後ろを振り返ると自分の歩いてきた軌跡が踏み分け道のように見える、といった感じでしょうか。
このような、過去は見えるけれども未来はまったく見えない人生を生きている人間は、どうして未来に向かって生きていくことができるのでしょうか。
過去に自分が歩いてきた道を振り返ると、その所々での記憶が鮮明に蘇ることがあり、そういうさまざまな記憶を糧にしながら人は生きているのかもしれません。そして、どこを歩いている時にこんなことがあった、別なところではこんな体験をした、という過去の経験に関わる記憶の中から、これから先の自分が歩いていく方向を考えたり決めたりすることができるのです。
つまり人が将来の展望を描こうとするとき、過去のさまざまな経験に基づく記憶があるからこそ、まったく未知の未来に向かって、多少の不安を持ったとしても、将来の「絵」を描くことができるのです。
(2)経験に基づく予想、予測
人は学習する動物であると言われています。過去のさまざまな学習経験の中からいろいろなことを学びとります。その結果、本来は同じ過ちを繰り返さない、成功を繰り返す、ということを期待しているのですが、どうもうまく行かないようです。もう少し低レベルのことを学習するに止まっているのかもしれません。
しかしさまざまな学習の結果、およそ自分を含めた物事への理解というものが進むことは間違いないようです。そしてこれが人の予想、予測を生むことになります。
自分の過去の経験から、およそ自分の経験、能力や性格はこの程度だから、この先もそれが反映され、多分このような展開になるのだろうなという漠然とした予想をします。そしてたいていの場合、この予想が当たらずとも遠からずということが多いのです。ですから人は自分の将来のことを考えるときもまず予想、予測をはたらかせ、それによって例えば自分のキャリアを考えようとします。
確かに経験に基づく予想、予測発想は手堅く確実な将来の展望を描かせるかもしれません。しかし、それとても100%確実な道を示しているわけではありません。
(3)願望に基づき未来への道を拓く
だからこそキャリアを考える時にもうひとつの考え方があることを忘れないでほしいと思います。それは自分の欲求、願望、夢、希望に従って考えるということです。
願望ベースの発想には確からしさはないかもしれません。その点、予測ベースの発想の方が確実性は高いでしょう。しかし選択した道へのモチベーションは願望ベースの発想に基づいた方がはるかに高いのではないでしょうか。
「やったことはないのだけれど」やってみたい、「経験したことはないのだけれど」こういうことを実現したいという強い思いがあるのならば、確かでないという理由でそれらを切り捨ててよいものかどうか、まさに究極の選択です。
予想か願望か、どちらかが正しい、間違っているというものではありませんが、ややもすると予想、予測発想の方が強く働いてしまうからこそ、是非、将来のキャリアについて考えるときには、意識的に自分のさまざまな願望と向き合ってほしいと思います。
これに関連したことは既に第2章でも述べましたが、人は案外、自分のさまざまな願望について自覚していないことが多いのです。日常の生活ではほとんど予想、予測で物事が片付き、自分の願望を自覚する必要性が余りないのかもしれません。
文字通りその人の価値観の問題ですが、確かで間違いの少ない人生を送りたいのか、不確かでどうなるかは分からないけれど自分の欲したように生きたいのか、まずこの判断が大切です。しかし同時に、どちらの価値観であるにしても、一度、しっかりと自分のさまざまな願望と対峙することは重要なことです。改めて第2章で自問自答をし、自分の願望を自覚した上で選択の価値観を見極めていただきたいと思います。