―――今やベアーズといえば家事代行会社として広く知られた存在ですが、約8年前に創業したときには、経験もノウハウもないゼロからの出発だったそうですね。
高橋:「自分で何かやろう」と思って香港から帰国したのですが、カネもなければ、経験もありませんでした。そんなときに思い出したのが、香港で経験した便利なメイドサービスでした。香港の中流以上の家庭では、メイドを使うのは半ば常識。ところが日本では、共働きの夫婦が気軽に使えるサービスではなかった。これならば日本にまだ存在せず、身一つで立ち上げられると思い、まずはハウスクリーニングから着手しました。
―――しかし、そのハウスクリーニングの経験すらなかったわけですよね。
高橋:そこで起業情報雑誌の「教えます」コーナーで見た、個人のハウスクリーニング業者に8万円を払い、ノウハウを教えてもらいに行きました。ところが、道具は普通のお店に売っているものだし、特別なことを教わったわけでもありません。「だまされた」と思いましたが、そこでやり方を覚え、自分でハウスクリーニング業を始めました。―――最初はどうでした?
高橋:1999年の10月ぐらいから、チラシをポスティングしたり、新聞に折り込みチラシを入れましたが、最初はほとんど反応がありませんでした。それでもかなり料金を安く設定したので、11月ぐらいからポツポツ仕事が入ってきました。最初のお客様のことは今でも覚えていて、仕事が終わった後にラーメンをご馳走になりました(笑)。
ところが12月になると状況が一変します。年末の大掃除のおかげで、朝から晩まで仕事が入ってきたのです。自分で見積もりに行き、「人手が足りないんです」と言って、自分で作業に訪問。家一軒を1人でクリーニングすることもあり、手が痛くて、マッサージに行かないと体が持たないほとでした。 ―――だいぶ波に乗ってきたようですね。
高橋:そうでもなかったんです。年が明けると毎月5万円ぐらいしか売り上げが立たなくなります。ハウスクリーニングはそう何度も頼むものではなかったのです。暇だったので電話番だった妻(高橋ゆき専務)も外に働きに出て、私は彼女の扶養家族になってしまいました(笑)
そんな時期が2年半ぐらい続いたでしょうか。「これではいけない」と思って、安定的に仕事が入り、利幅も良かったビルメンテナンスサービスを営業。立て続けに5件ぐらい受注すると、事務所を構えることができました。 ―――そのままだとビルメンテナンスの会社になっていましたね。
高橋:それでも将来性を強く感じていたのは、家事代行サービスでした。先ほどお話した年末大掃除が終わった直後から、家事代行をサービスの1つとして打ち出しています。香港時代に私たち夫婦が経験したメイドサービスは、信用と価格さえマッチすれば絶対に使ってもらえる、日本でも1つの産業になるという信念があったんです。しかしながら最初は利益がほとんど出ず、ビルメンテナンスなどで稼いだ利益で続けていました。その後徐々に当社サービスが認知され、今では宣伝なしでも、次々とオーダーが入ってきます。
―――ところで新卒で入社したのは、ホテルだったそうですね。なぜホテルに入社したのですか?
高橋:学生の頃から将来独立したいと思っていたものの、就職については何も考えていませんでした。その頃、父親がホテルのコンサルティング会社を起業したので、私もホテル業界に行こうと考えたのです。
―――入社した感想は?
高橋:若い人が多い新しいホテルだったので、非常に仕事がしやすい環境でした。しかもバブルの絶頂期だった当時、大卒がホテルに入社するなどまれで、幹部候補生として採用して頂きました。
誰よりも一生懸命働こうと思っていたので、がむしゃらに働きました。1年目のベルボーイのときは、2日目でぎっくり腰になったほどです。仕事はとても大変で、泊り込みの夜勤が続き、仕事も荷物を運ぶなど単純なもの。友人たちはスーツを着て働いていたので、「何でこんなことをしているんだ」という気持ちにもなりました。そのときの経験から現場で働く人の気持ちが、よく分るようになりました。 ―――当時の思い出は?
高橋:その後1年ごとに、レストランキャッシャー、フロント、宴会の法人営業を経験しましたが、今思えば後悔することも少なくありません。法人営業だったときに、私は中央区と墨田区の企業を担当しました。営業手法は飛び込みです。最初の半年はひたすら飛び込んでいましたが、交通の便が悪いなどの理由でほとんど成果が上がらず、次第にやる気がなくなってきました。あのときもっと頑張ればよかったと思う一方、部下に適切な指示を出す上司の役割について深く考えるようになりました。こうした経験が会社を経営する今も役立っています。
―――その後夫婦で香港に渡っていますが、どうして海外に出たのですか?
高橋:最初は妻が香港の社長から引っ張られていたんです。彼女は乗り気でなかったようですが、以前から私は海外で働きたい、若いうちにいろんなことを経験したいと思っていたので、「言葉も話せないのに雇ってくれるなんて、滅多にないチャンスだ」と言って、彼女に強く勧めました。
―――香港ではどんな仕事をしていたんですか?
高橋:眼鏡、宝石などを販売する小売店で、私は主に眼鏡の販売を担当しました。来店する顧客のほとんどが日本人観光客で、半ば強引に高いものを勧める現地人販売員のほうが成績は良かったですね。歩合の割合が高かったし、日本語が流ちょうでなくても、強く勧めたほうが観光客には有効だったようです。逆に私は優しすぎて、安くていいものしか勧めませんでした。
お店は順調に伸びていて、入社時には約20店舗だったものが、退社する頃には70店舗ぐらいに増えています。ところが当時続々と香港に進出していた日系の百貨店には、なかなか出店できませんでした。そこで日本人の会合で知り合った百貨店の人にアポを取って交渉し、多くの日系百貨店で出店に成功しました。 ―――ホテルや香港の経験がベアーズにつながっているわけですが、読者にキャリアの積み方や転職についてアドバイスして頂けませんか?
高橋:30歳を超えると自分で現場に出たりする仕事がやりにくくなります。「20代は経験の時期」と考え、一生懸命スキルや経験を高めてください。そうすれば必ず必要とされる人材となり、40代以降もリストラされない人材になれるでしょう。夢や目的があれば別ですが、転職はなるべくしないほうが得策です。できれば他社に引き抜かれて、会社を「選ぶ」立場を目指してください。
プロフィール
90年3月東海大学文学部卒業。同年4月東京ベイホテル東急入社。95年5月同社退社後、夫婦で香港に渡り、現地の宝飾小売店に入社。98年4月同社退社後、日本に帰国。99年10月ハウスクリーニング業で起業。2000年9月会社設立。04年4月ベアーズに社名変更。
<会社概要>
家事代行、育児サポート、ハウスクリーニングを首都圏・関西エリアを中心に展開。「がんばる女性を応援したい」という思いから、低価格で利便性の高いサービスを提供している。現場で活躍するベアーズレディは約2000名。社員約60名。
家事代行サービス・ギフトチケット
「家事代行サービスをギフトする」という日本初の試み。家事代行業界のパイオニアであるベアーズらしいユニークな商品だ。5000円チケット、10000円チケット、20000円チケットの3種類を用意している。 バックナンバー
vol.33 高橋健志氏 (株式会社ベアーズ)
vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
vol.16 橋本雅治氏 (株式会社イデアインターナショナル) vol.15 田口弘氏 (株式会社エムアウト) vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン) vol.13 西野伸一郎氏 (株式会社富士山マガジンサービス) vol.12 安田佳生氏 (株式会社ワイキューブ) vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ) vol.10 遠山正道氏 (株式会社スマイルズ) vol.09 宋文洲氏 (ソフトブレーン株式会社) vol.08 高橋透氏 (株式会社ラストリゾート) vol.07 南場智子氏 (株式会社ディー・エヌ・エー) vol.06 出張勝也氏 (株式会社オデッセイコミュニケーションズ) vol.04 経沢香保子氏 (株式会社トレンダーズ) vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ) vol.02 松田公太氏 (フードエックス・グローブ株式会社) vol.01 穐田誉輝氏 (株式会社カカクコム) |