―――吉田社長はバレーボール選手を目指していたそうですね。
吉田:大学に進学したのもバレー部に入部するためでした。ところが予想以上に周囲のレベルが高く、バレーの道は断念せざるを得ませんでした。大学にいる意味もなくなり20歳で中退、フリーターになります。コンビニや引越しバイトを転々として、お金が稼げる一番まともな仕事だった警備会社で働くようになりました。当時は将来のビジョンなんて全然ありませんでしたね。ただ、どうせならちゃんと仕事をしたかったので、雨や雪が降っても工事現場に出て交通整理をしてました。それがほかの人より良かったのか、本部スタッフとして呼ばれ、大手広告代理店に派遣されたんです。
―――今度はどんな仕事でしたか?
吉田:最初は局長の運転手をしていました。次に社長が「若いヤツがほしい」というので社長の運転手になりました。早く着かなきゃ怒られるし、乗り心地にも気を遣いました。ジャイアンツが負けた日にはなおさら(笑)。当時はカーナビもなく空き時間に地図を熟読したり、道順を下調べしていました。ブレーキも「ガクッ」ってならないよう慎重に踏んでましたね。こうした姿勢が評価され、秘書兼運転手にして頂きました。
―――なかなか運転手から秘書にはなれませんよ。
吉田:自分にとっても「3億円の宝くじを2本同時に当てた」ぐらいの大事件でした。「これを逃したら自分の人生はない」と信じていましたから、社長のリクエストには必死で応えようとしました。英語も話せないのに国際会議の運営を仕切ったり、2カ国を結ぶ国際テレビ会議をディレクションしたおかげで、自分の中の「限界」というものがなくなりました。
その後社長の指示で、東京に進出したゲーム会社に社長秘書として派遣されました。これまでの秘書経験を生かしながらお手伝いしてましたが、新規事業としてワインのビジネスを始めることになり、私が担当することになりました。でも私はお酒がまったく飲めないんです(笑)。 ―――飲めないってどの程度ですか?
吉田:お酒を飲むのは年に2、3回です。仕事で1本数万円する超高級ワインを飲む機会があっても、私は1杯ぐらいしか飲めません。しかしワインは封を空けた瞬間、酸化が始まり風味が変化してしまう?。そこで「ワインを空気に触れさせないワインセーバーがあればいい」と、現在のビジネスのアイデアを思い付いたのです。
―――誰もが面白いアイデアを思い付く機会がありますが、吉田社長はなぜ事業化に成功したのですか?
吉田:すぐに行動に移したからではないでしょうか。その夜帰宅すると、自宅にあったボールペンやフィルムのケースなどを使い、その日のうちに試作品を作りました。その日のうちに試作しなければ、立ち消えになっていたかもしれません。最初の試作品で手ごたえを感じ、それから1人で試作品を作っては壊し、2年掛けて製品の構造を完成させました。
今度は誰かに評価してほしいと思って、ビジネスプランコンテストに応募しました。何度も書類選考で落とされましたが、神奈川県のコンテストでなんと2つの賞を受賞。「ニーズは必ずある」と確信します。ところが会社に事業化を提案すると却下され、自分で会社を立ち上げることにしました。 ―――会社を辞めてすぐ起業したのですか?
吉田:開業資金がなかったので、まず資産家に出資を募りました。ところが「君には製造業の経験も、飲食業の経験もない」などと言われ、自分の経験不足を痛感。そこでアルバイトの仕事で、会社設立に必要な会計と飲食業を勉強することにしたんです。早速、コンテスト会場で出会った税理士の先生に相談すると「じゃあウチに来たら?」とのこと。まったく会計知識のない私に声を掛けてくれたのですから、チャンスだと思ってその場で「行きます!」と即答しました。
さらにインドネシア料理店とコーヒーショップで働き、カフェの原価率や酸化によるコーヒーのロスなどを勉強しました。目指す方向性と合致していれば、バイトも立派なキャリアになります。バイトを3つ掛け持ちしたおかげで短期間のうちにノウハウを吸収できましたが、収入面を考えると非効率で再び1年間正社員で働くことになりました。 ―――最近は設立数年で会社を上場させる起業家もいますが、アイデアを思い付いてから事業化までかなり長い準備期間がありました。
吉田:2軍が長かった野球選手が1軍に出ると長期間レギュラーに定着するように、準備期間が長かった分、十分な基礎体力が付きました。逆に高卒1年目で新人王を取った選手は、体が完成していなかったために「2年目のジンクス」に悩むケースがあります。確かに長い準備期間でしたが、「世界に通用するモノづくりをしたい」と思いながら、結構楽しみながら試作品を作っていました。
―――大学中退、フリーター、運転手、秘書、そして社長と、自力でキャリアを切り開いてきた吉田社長から読者にメッセージをお願いします。
吉田:あくまで私の個人的な考えですが、別の仕事にチャレンジしたければ、私は迷わず今の仕事を辞めます。まず1歩踏み出すことが大切ですし、自分を追い込むことで近づけます。ゴールイメージを強く持っていれば、多少遠回りしたとしても、必ずゴールにたどり着けるのではないでしょうか。
おそらく多くの人が、一見単純にみえる仕事をしていますが、それも全力でやろうという意欲があれば、何か工夫しようとするはずです。その経験が将来直面することになる大きな壁を乗り越える原動力になるでしょう。もし私も運転手時代そうやって工夫していなければ、今でも運転手を続けていたかもしれません。 プロフィール
1970年東京都生まれ。91年亜細亜大学経営学部中退。フリーター生活を始め警備会社などで働く。93年警備会社から大手広告代理店に運転手として派遣され、翌年、社長の運転手兼秘書になる。その後社長の指示でゲーム会社に秘書として派遣される。99年からワインの新規事業を担当、ワインの酸化を防ぐワインセーバーのアイデアを思い付く。2000年ゲーム会社を退職、3つのアルバイトを掛け持ちしながら起業を目指す。1年間の正社員勤務を経て、2002年エブリデイワイン(現フレッシュテック)設立、代表取締役社長就任。
<会社概要>
ワインの酸化を防ぐワインセーバーの開発・販売が出発点。ワインで培った酸化防止技術などをコーヒー豆の酸化防止などの他分野に応用し、世界に通用する製品を生み出そうとしている。2006年5月、社名をエブリデイワインからフレッシュテックに変更した。
ワインを酸化させないワインセーバー「WHYNOT」。ワインはボトルで飲むものという常識を覆し、グラスワインで楽しめるワインのバリエーションを増やした。
ワインセーバーのアイデアを思い付いた吉田社長が、その日の帰宅後、自宅にあったボールペンやノリの容器などで作った試作品第1号。
バックナンバー
vol.33 高橋健志氏 (株式会社ベアーズ)
vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
vol.16 橋本雅治氏 (株式会社イデアインターナショナル) vol.15 田口弘氏 (株式会社エムアウト) vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン) vol.13 西野伸一郎氏 (株式会社富士山マガジンサービス) vol.12 安田佳生氏 (株式会社ワイキューブ) vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ) vol.10 遠山正道氏 (株式会社スマイルズ) vol.09 宋文洲氏 (ソフトブレーン株式会社) vol.08 高橋透氏 (株式会社ラストリゾート) vol.07 南場智子氏 (株式会社ディー・エヌ・エー) vol.06 出張勝也氏 (株式会社オデッセイコミュニケーションズ) vol.04 経沢香保子氏 (株式会社トレンダーズ) vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ) vol.02 松田公太氏 (フードエックス・グローブ株式会社) vol.01 穐田誉輝氏 (株式会社カカクコム) |