―――岩本社長は商社の出身ですが、新人時代はどんな商社マンでしたか?
岩本:電子情報本部に配属されて、カーステレオやカーエアコンといった自動車部品を、アメリカの大手自動車メーカーに輸出していました。入社して10年は「丁稚奉公」だと自分で決めていたので、とにかく言われたことをやって、商売の基礎を勉強することに専念しました。とにかくビジネスが好きで、一生懸命仕事をしましたね。
―――入社3年足らずでアメリカ駐在というのは、商社の中でも早いほうだったのでは?
岩本:海外赴任は同期で私が最初でした。しかし、精神的にはキツかったですね。ビジネス経験は2年ほどしかないし、英語も決してうまくありません。いつも不安で打ち合わせが終わると、必ずその内容を文書にした「コンファメーションレター」を作成して送っていたものです。1度の取引が数十億円単位ですから、少しのミスで億単位の損が出てしまうんです。
アメリカでの仕事は緊張の連続で、常に頭の中は仕事で一杯でした。もともとジャズが好きで何百枚もレコードを持っていたのですが、ジャズの本場に行ったのに全然音楽が聞けませんでした。2年目のある日、タクシーに飛び乗るとラジオからいい音楽が流れているのが耳に入りました。そのとき「やっと音楽を聞く余裕ができたか」と涙がこぼれてきたのです。
私が本格的にビジネスを覚えたのはアメリカです。いきなりマネジャーという肩書きで送り出してもらったのですが、最初は子供が大人の服を着たようなブカブカの状態でした。ところが必死になって働いているうちに、自分のサイズに合ってくるものです。やはり「器が人を育てる」のでしょう。 ―――帰国してからはどうでしたか?
岩本:アメリカでやっていた仕事の逆の立場、つまり輸出を担当することになりましたが、同じような仕事ですから面白くありません。そこで入社10年目を迎えた4月1日、「好きなことをやらせてほしい」と、新規事業の企画書を社長宛で直接送ったんです。直属の上司を飛び越えて社長に提案するなど、サラリーマン社会では許されない行動であるのは分かっていました。
せっかく社長に提出するのですから、注目してもらえそうな企画を考えました。当時は1ドル90円台の円高で内外価格差が話題になっていたので、海外の雑貨を輸入してコンビニで販売するビジネスを提案しました。すると社長も無視するわけにはいかず、私の提案をもとに検討が始まり、結局私にやらせてもらうことになったのです。 ―――立ち上がりは順調でしたか?
岩本:そううまくいきませんでした。しかも、上司に逆らって提案したので、周囲の誰も助けれてくれません。2度ほど絶体絶命のピンチに遭遇したことがあります。
最初のピンチは船便で最初の商品が届いたとき。早速検品してみると驚くほど不良品が多く、私はショックあまり途方に暮れ、あきらめようかと思いました。やむなく会社に報告すると、「何であきらめるんだ。お客さんに不良品が渡ったわけじゃないだろう。やってみろよ!」と。その言葉で私は目が覚め、真冬の寒い倉庫の中で、部下と手分けして何万個という商品をすべて検品。合格した商品だけお客様に送り、見事、正式受注に成功しました。 もう1つは何とか商売が軌道に乗り、利益が出てきた矢先の話です。ある日突然メーカーが、「もう商品を供給できない」と言ってきたんです。商品がなくなってしまえば、せっかく築いたコンビニとの取引も終わりです。会社を辞めることも覚悟したほどですが、偶然、「いいメーカーを紹介してあげる」という人が現れ、在庫切れ寸前に新しい商品が届いたんです。こればかりは本当に奇跡だったと思います。あきらめず頑張れば、本当に最後に何かが起こるんですね。 ―――その後Eコマースの事業化を提案したそうですが、どうしてファッション雑誌を創刊することになったのですか?
岩本:周囲からも「Eコマースて言ったのに雑誌かよ!」と散々叩かれました(笑)。しかし、当時のインターネット普及率はわずか5%程度。Eコマースは時期尚早と判断しました。実際、大手商社もEコマースを始めていたものの、全然商品が売れずほとんど「開店休業」でした。そこで私は慎重に市場調査を行い、さまざまな通販ビジネスを研究した結果、ファッション雑誌がEコマースと親和性が高いという事実に気づきました。「これだ!」とひらめいた私は、ファッション雑誌で基礎を作るという道を選んだのです。
Eコマースといっても基本は通信販売。雑誌に掲載された商品はすべて購入できることにして、物流センターの設置など通販のインフラ作りに着手しました。しかし、立ち上げ当初は小売のノウハウが不足していて、続けるほどに在庫ばかりが増え、最初の3年間は赤字続きでした。1カ月に1度本社で会議があるのですが、人間扱いしてもらえず、「馬鹿野郎!」と怒鳴られるのも当たり前。ものすごく辛い思いもしました。 それでも創業メンバーたちは、みんな大きな夢を持っていました。「絶対このビジネスは成功する」と信じ、誰も文句1つ言わず、ひたすら何とかしようと努力しました。私もみんなと一緒に朝まで仕事をした日が何度もあります。そんな七転八倒の日々が3年続きましたが、ついに4年目に黒字化を達成。それから右肩上がりで事業が伸び、2006年6月に上場しています。 ―――岩本社長は自動車部品からスタートして、ファッションという異業種で成功しました。異業種で成功するコツを教えてください。
岩本:どんなことを始めるにしても、新しいことに挑戦することには変わりありません。大切なのは信念を持って、最後まであきらめないこと。松下電器創業者の松下幸之助氏は、謙虚な人物として知られていますが、「私は失敗したことがない」と言い切ったことがあります。なぜなら「成功するまでやり遂げるから」だというんです。自分が正しいと信じたら、逃げずに最後まで貫いてください。
ただし異業種に挑戦するといっても、ビジネスの基礎が大切だと思います。私の場合は10年かかりましたが、最低でも1年間ぐらいは、お金をもらいながら勉強していると思って、必死で与えられた仕事に打ち込みましょう。それで学ぶべきことがなくなったと思ったら、存分にやりたいことをやればいいんです。 プロフィール
1962年大阪府生まれ。85年ニチメン(現 双日)入社、電子情報本部で自動車部品の輸出を担当。87年から92年までアメリカ駐在。97年Eコマース進出のために、ニチメンメディアに出向。2000年、同社のインターネット事業部門が分離独立し、スタイライフが設立され、代表取締役社長に就任。2006年6月大阪証券取引所ヘラクレスに上場。
<会社概要>
ファッション誌「Look!s」の企画制作・販売および同誌に連動したEコマースサイト「Stylife」などの企画運営を行っている。2005年11月「Stylife」は日本オンラインショッピング大賞最優秀賞を受賞した。
総合情報サイト「Stylife Beauty」 女性の永遠のテーマ「キレイになりたい」を満たす、著名メイクアップアーティスト、エステティシャンのコラムなどを掲載している。
「s-com(エスコミュ)」 おしゃれ好きな女性(ファッショニスト)が集い、情報交換できるコミュニティサイト。モデル、デザイナー、ファッション関係者のブログも読める。
バックナンバー
vol.33 高橋健志氏 (株式会社ベアーズ)
vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
vol.16 橋本雅治氏 (株式会社イデアインターナショナル) vol.15 田口弘氏 (株式会社エムアウト) vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン) vol.13 西野伸一郎氏 (株式会社富士山マガジンサービス) vol.12 安田佳生氏 (株式会社ワイキューブ) vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ) vol.10 遠山正道氏 (株式会社スマイルズ) vol.09 宋文洲氏 (ソフトブレーン株式会社) vol.08 高橋透氏 (株式会社ラストリゾート) vol.07 南場智子氏 (株式会社ディー・エヌ・エー) vol.06 出張勝也氏 (株式会社オデッセイコミュニケーションズ) vol.04 経沢香保子氏 (株式会社トレンダーズ) vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ) vol.02 松田公太氏 (フードエックス・グローブ株式会社) vol.01 穐田誉輝氏 (株式会社カカクコム) |