|
―――小方社長は29歳で会社を辞め、独立準備のために中国に留学しました。アメリカにMBA(経営学修士)留学する人はよく聞きますが、なぜ中国留学だったのでしょう?
|
小方:私は、起業する上で「創造力」が重要な要素だと考えていました。アメリカに留学しても、本や映画でたくさん紹介されていますから、現地の生活はおよそ予想の範囲内でしょう。しかし中国はナゾだらけの国でした。ちょうど烏龍茶がコーラの売上を上回った時期でもあり(笑)、中国にはまだ知られていない、大きな可能性が残されていると思いました。MBA留学しなかったのは、MBAが経営者になるための勉強ではなくて、どちらかというと組織の中で経営者をサポートするためのものではないか、と感じたからです。経営がマニュアル化する危険性を感じたのです。 |
|
―――どうして独立したのですか? |
小方:私が会社を辞めたのは、独立を「脱サラ」と呼んでいた時代です。起業が今ほど一般的ではなく、私自身、独立するイメージがまったくつかめませんでした。恐怖でしたよ。シートの下は崖(がけ)かもしれないのに、とりあえずそれに乗るぐらいの。でも人として生まれてきた以上、どれだけ自分に可能性が残されているか試したかったんです。私が常に憧れているのは、大きな可能性を持った人物です。独立することだけがその答えではありませんが、私の勤めていた会社が年功序列だったこともあって、自分の20年後の姿が簡単にみれるサラリーマンに限界を感じました。 |
―――中国留学から帰国して貿易業を始めましたが、以前からそういう事業をやりたかったのですか? |
小方:最初に手掛ける事業は、正直、何でもよかったんです。ただ、やるなら1つの“産業”を打ち立てるぐらいの志がありましたから、ビジネスモデルは10年ぐらいかけてじっくり組み立てる覚悟をしました。事業を続けていれば、いつかチャンスは巡ってくるはず。しかし、チャンスに遭遇したときに、自分にそのチャンスをつかむ“握力”がなければ悔しい思いをします。最初に始めた事業は「基礎体力」作りと位置付けました。 |
|
―――
1人で事業をスタートしたことで、苦労しませんでしたか? |
小方:孤独ではありましたが、楽しかったですよ。「苦労」とは不本意なアクシデントに遭遇したことをいいますが、起業は自分が好きで選んだ道。確かに電話が全く鳴らないときは、「辛いなあ」と思いました。でも、いつか自分が書く本の中で、読者に面白がってもらうエピソードの1つだと、勝手に信じ込んでいました(笑)。 |
―――
その後は順調でしたか? |
小方:経営を揺るがすピンチが何度もありましたよ。大手通販会社から引き合いがあって、在庫を大量に仕入れました。ところが、担当者の連絡モレによって、すべて不良在庫になったことがあります。金額にして約1000万円。返済が差し迫っていました。黙っていても“あぶら汗”が出てくるし、夜はまったく眠れません。こんな状態が続くと人間は、現実逃避するようになります。ついに私は倒産を決意し、取引先に倒産の挨拶に行きました。すると「どうして諦めるんだ」と怒られ、取引先数社が在庫をすべて買い取ってくれたんです。このときは本当に救われました。 |
|
―――
「災い転じて福と成す」でしょうか、この経験から在庫取引市場「オンライン激安問屋」のヒントを得ています。しかし、このビジネスの立ち上げには、かなり苦労されたとか。
|
小方:はじめは10万円の取引に10万円のコストが掛かっていました。それでも私はこのビジネスに、大きな可能性を感じていました。資金もありませんでしたが、本屋でHTMLやCGIの本などを立ち読みして、ホームページは全部自力で作りました。こんな生活を1年半続けているうちに、少しずつ売り上げが伸びてきたのです。 |