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――事業立ち上げに失敗した経験があるそうですね。 |
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高橋:97年に事業パートナーと共同で、英会話教室を立ち上げようとしました。ところが設立準備中に突如、暴力団が大挙して押し寄せてくるではないですか。パートナーの過去の取引にクレームを付けてきたんです。当時私は27歳と若く、どうしたらいいかも分かりません。私が動揺しているスキに、パートナーは開業資金を持ち逃げしてしまったんですよ。
結局、学校の開業は諦め、残ったのは多額の借金です。私は家族を実家に戻し、単身で福島に残り借金を返済することにしました。福島には会社員時代の恩人がいて、資産家の彼が生活の面倒を見てくれたんです。彼にワンルームマンションを一室借りて、昼間は彼の仕事を手伝い、夜、仕事が終わるとパンと牛乳、ハムを買ってもらう―――。何とも情けない毎日でした。
正直「逃げようか?」と思ったこともありますよ。その一方「恩人の顔に泥を塗って、ここで人生捨ててどうする」とも考えた。「宝くじでも買って借金返済するか?」と思うほど悩んでました。葛藤の日々を過ごしながら、私が出した結論は「コツコツ返済しても一生を棒に振るだけ。やっぱりビジネスで再起するしかない!」でした。 |
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――なぜ留学支援というビジネスを思いついたのですか? |
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高橋:実は私を騙(だま)した人が英会話学校の経営で成功していたので、私がこの分野で成功して"復讐"してやろうと思ったんです。その学校は全国規模の大手に負けない人気を誇っていて、その成功の要因が「留学しませんか?」というキャッチフレーズで生徒を集めることだと分かりました。これだけ留学に関心を持っている人がいれば、何かビジネスができると思い、さらに調査を続けたのです。
当時私は、海外旅行に行ったことがなく、パスポートすら持ってませんでした。それでも、とりあえずアメリカ大使館に電話すると自動応答サービスが流れるだけ、大手旅行代理店には相手にもされません。英会話学校に行けば「『駅前留学』すればいいから。レベルチェックテストを受けませんか?」と売り込まれる始末(笑)。最後に行き着いたのが、留学希望者から手数料を徴収して留学先を紹介する「留学斡旋会社」でした。実際行ってみるとサービスは劣悪で、みんな仕方がないから来ている状況。それは私にとっては、チャンスだと映ったのです。そして、これが私の"ラスト・リゾート"(最後の手段)だったのです。 |
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――以前は留学とは関連のない、証券会社の営業マンでしたよね。なぜ証券会社に就職したのですか? |
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高橋:学生時代から起業したいと思っていて、事業プランを考えていました。最初は地元が岩手ということもあり「農業」で起業したかったんですよ。有機野菜の産地直送などを検討していました。やはり実家で取れる野菜はウマイですからね。
就職活動の時期、大手に学ぼうと思い、野菜の産地直送工場を訪問しました。それが凄いんですよ。野菜がベルトコンベアーで整然と運ばれ、完全にシステム管理されていましたから。その時点で「今の自分じゃできない」と諦め、業界を問わず起業する実力が身に付く会社を探し始めました。特に私が絞り込んだのは「業界ナンバーワン企業」。やはり業界トップ企業には、それなりの理由があるでしょう。最終的にご縁があったのが野村証券でした。 |
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野村時代は「企業文化」の重みが胸に焼きつきました。今でも(野村証券の)社章が、襟
元に付いている気がするぐらいですから。社員のプライドが高く、会社が求める要求水準
が高い。この中にいるうちに、自分では普通だと思っていても、自然とレベルの高い振る
舞いができる。だからナンバーワンになれるということが、よく分かりました。 |
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――そうした経験を今、どのように生かしていますか? |
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高橋:レベルの高い組織を作るため、社員教育に熱心に取り組んでいます。習熟度別に3カ月に1回社員研修があり、毎月知識レベルを問うテストを実施します。ここまで徹底している会社は少ないと思います。ただしこれはあくまで最低限の知識であって、お客様を動かすのは、マインドやホスピタリティーといった当社に根付いた文化なんです。例えば、当社はお客様が来ると全員が「こんにちは!」と気持ちよく挨拶するでしょう。これば私がそう指導しているのではなく、「当たり前のこと」になっているのです。やはり企業文化作りが1番重要です。 |