―――学生時代はアメリカンフットボールに熱中していたそうですね。
永井:高校時代にはアメフトで全国制覇しています。その分学生時代は、まったく勉強しませんでしたね。その後、野村證券に入社したのですが、それは単に一番最初に内定が出たからなんです。
―――野村證券では営業だったのでしょうか?
永井:そうです。2カ月の新人研修の後、支店に配属されると、その日から「飛び込み営業をやれ」と言われ、バサッと住宅地図を渡されました(笑)。トレーナーに「地図の端から端まで行け」と命じられ、「行って何をすればいいんですか」と聞くと、「それぐらい自分で考えろ!」と怒られました。訪問した証拠として訪問先の名刺を頂くことになっていたのですが、担当エリアが住宅地でしたから、出てくるのは名刺を持たない主婦なんです。「旦那さんの名刺を頂けませんか」と頼み込み、1日80枚から180枚の名刺を集めていました。
―――かなり大変そうな仕事ですね。
永井:しかも、それで仕事が終わるわけではないんです。夕方6時ごろ支店に戻ると、夜9時ぐらいまでアポ取りの電話をします。そして夜9時を過ぎると、今度はアポ取りの手紙を書きました。しかも普通の便せんに書くのではなく、わざわざ巻紙を買ってきて毛筆で書くんです(笑)。1日5通ぐらいは書いてましたね。それが夜12時ごろに終わると、翌朝の出社が朝5時40分ぐらい―――。毎日がこの繰り返しでした。
―――仕事は面白かったですか?
永井:まったく楽しくなかったです(笑)。ほかの同期にも営業をやりたくてやっている人はいなかったはずです。おかげで、どこに営業に行くのも苦はでなくなり、精神的にもタフになれましたが。
―――その後、大学院に進学したのはなぜですか?
永井:面白そうな奴だと思って頂いたのか、営業成績はそこそこよかったんです。でも、商品のことなどまったく理解していませんでした。30歳ぐらいまでは勢いで行けるとは思いましたが、このままでは将来部下を持つような立場にはなれないと判断しました。そこで今まで体に投資してきたから、今度は頭に投資しようと思い、大学院に進学することにしました。
―――さらにアメリカに留学していますね。
永井:これは勢いもあったんです。大学院に進学する際、担当教官に志望理由を聞かれ「将来、研究者になりたい」と言ってしまい、留学しなければならない雰囲気になってしまったんです(笑)。でも、留学してマイナスになったことは1つもありませんね。ものすごく辛かったですけど。
―――野村證券時代よりもですか?
永井:仕事の方が全然楽でしたよ。日本で3年間勉強していたので、「なんとかなるだろう」と思っていたら、同級生は官庁などから派遣された超エリートばかり。専門誌に論文が掲載された人もいて、授業も日本で3年かかったことを3カ月で終えてしまう。平日の平均睡眠時間は2、3時間ぐらいでした。彼らには悲しくなるぐらい敵わず、研究者としては成功しないだろうと思い、再び実業界に戻ることにしたのです。
―――外資系投資銀行も厳しそうな会社ですね。
永井:仕事の内容自体はそう難しくありませんが、顧客対応が大変でした。大手機関投資家などが顧客ですが、彼らの要求水準は極めて高く、何か問題が起きると「ちょっと質問があるから、明日の午前中までに質問に答えてほしい」と電話が入ります。そこでメールを開くと質問が100問ぐらいあるんです(笑)。ニューヨークのスタッフと連絡を取りながら回答案を作り、朝までかけてレポートにまとめることもありました。
―――最も印象に残った仕事は?
永井:ある大企業から800億円規模の案件を受注したことですね。これは日本初の案件で、金額的にも部の年間ベスト3に入る大型案件。しかも自分で開拓した顧客でした。合わせて「四冠王」ぐらいは取ったのではないでしょうか。でも手柄の取り合いには閉口しました。外国人が社員の約7割を占める、外資らしい外資系企業だったのです。
―――その後、ベンチャーキャピタル(VC)に転職していますね。
永井:野村時代の同期が社長を務めていたVCに誘われました。当時はネットバブルが崩壊して、VCには逆風の時期でしたが、多くの社長を相手に仕事ができるので、それが面白いと思って転職しました。大成功した社長や失敗する社長を見て、いろんなことを勉強させて頂きました。結局、成功する方法は分かりませんでしたが、身の丈に合わないことをすると、必ず失敗するということはよく分かりました。
―――その経験が今の仕事に生かされているのですか?
永井:さまざまな経営問題を見てきたので、問題か起きたときの対処法をすぐ出せたり、事前に問題を察知することができるようになりました。当社には最初、外部の経営コンサルタントとして参加したのですが、稼げるカルチャーではない、社員の危機感が薄いと直感しました。当時から社名は業界でもよく知られていたものの、採算面はこのまま行けば赤字という状態でした。そこで経費のルールやドレスコードなどを定め、キッチリした会社に修正していきました。
―――最後にこれから転職を考えている読者に、アドバイスをお願いします。
永井:まず、与えられた仕事は逃げずにやり遂げ、絶対に結果を出すことが前提だと思います。また、大企業にいる人は、大企業の看板を自分の「こやし」にしてほしい。今のうちに人脈を広げるなど、次のステップに向けた準備をしておくべきです。そのうえで転職を考えるのであれば、「いいところがあれば転職しよう」といった中途半端な気持ちではなく、本気で転職活動をしてください。何事も中途半端はよくないと思います。
プロフィール
1968年東京生まれ。
<会社概要>
都市部における商業ビルの開発、再生を数多く手がけている。特に中古ビルの用途転換(コンバージョン)や改装(リノベーション)などて、都市を再生する事業で注目を集める。廃校になった中学校をものづくりやデザイン開発拠点として再生した『世田谷ものづくり学校』が有名。
東日本橋の物件。クリエイターの活動拠点としても適したスタイリッシュな空間。
麻布十番の物件。賃貸だが改装可能な物件。不動産業界の常識をくつがえした。
バックナンバー
vol.33 高橋健志氏 (株式会社ベアーズ)
vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
vol.16 橋本雅治氏 (株式会社イデアインターナショナル) vol.15 田口弘氏 (株式会社エムアウト) vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン) vol.13 西野伸一郎氏 (株式会社富士山マガジンサービス) vol.12 安田佳生氏 (株式会社ワイキューブ) vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ) vol.10 遠山正道氏 (株式会社スマイルズ) vol.09 宋文洲氏 (ソフトブレーン株式会社) vol.08 高橋透氏 (株式会社ラストリゾート) vol.07 南場智子氏 (株式会社ディー・エヌ・エー) vol.06 出張勝也氏 (株式会社オデッセイコミュニケーションズ) vol.04 経沢香保子氏 (株式会社トレンダーズ) vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ) vol.02 松田公太氏 (フードエックス・グローブ株式会社) vol.01 穐田誉輝氏 (株式会社カカクコム) |