―――兼元社長は一流デザイン事務所のデザイナーでしたが、なぜ建築塗装会社に転職したのですか?
兼元:建設塗装会社の現場は、キツイ、汚い、危険、暗い、臭いという、典型的な「5K」職場ですが、その社長の「5K扱いされる職場を、デザインの力で変えてほしい」という言葉にひかれました。そのため、CI(コーポレートアイデンティティ)、カタログ、工場、作業服などすべてゼロからデザインでき、最終決定権が与えられるというのが、ものすごく魅力的でした。ここなら自分が学んできたデザインを、思う存分実践できると思ったのです。
―――「すべてゼロ」であるだけに、苦労なさったのでは?
兼元:私もまだ若かったので、当然「拍手喝さいで迎えられる」と思ってました(笑)。ところが、多くの社員が工場で汗水流して働いている中、私だけパソコンが与えられ、エアコンの効いた部屋にいました。完全に社内で浮いた状態で、最初は誰も口を利いてくれません。そこで社長に相談すると「俺のいう通りにしろ」と言われ、それから毎朝6時に社長宅に伺いトイレ掃除を行い、その後朝8時に出社して会社のトイレ掃除。それが終わると玄関に出て、全員に朝の挨拶をしました。作業服を着て頑張っている私の姿を見て、認めてくれる人もでてきました。
さすがに「デザイナーなのに」と悩みましたよ(笑)。でも社長は「自分はデザイナーだという変なプライドが、お前の成長を邪魔している」といい、飛び込み営業もやりました。日中はこんな状態で忙しく、デザインができるのは夜になってから。肝心のデザインの仕事が進まず、そうしたストレスが重なり、血を吐いたことがあります。毎朝社長宅に伺うため、まだ暗い4時に起きましたが、吐き気を感じて流しに行き、その後電気を点けると流しが真っ赤。驚きました。たぶん胃潰瘍(いかいよう)だったんでしょう。 「このままじゃダメになる」と思い、打開策を考えました。そこで現状分析して出した結論が、「自社製品を持つこと」でした。競合製品を徹底的に調べ上げ、仲の良かった社員に頼み込んで、サンプル品を仕上げました。それが見事グッドデザイン賞に輝き、自社製品として初めて出荷できたんです。そのとき構造計算など社内でできない作業を手伝ってくれたのが、異分野の才能を集めた「グローバルブレイン」の仲間たちでした。 ―――会社以外にも別のネットワークを持っていたんですね。
兼元:これは私が学生時代から組織していたグループで、活動の主目的は、デザインの力で身障者の生活向上を実現させることでした。このグループの結成は「渡り鳥」からヒントを得ています。渡り鳥は一羽だけでは、数キロも飛べません。ところが多くの渡り鳥が集り、V字型の編隊を組み、浮力を発生させることで、数千キロも飛べるんです。苦しいときには協力する。そんな自然現象を体現できたのがよかったと思います。
しかし、相変わらず建築塗装会社では評価されませんでした。一方グループでも、デザインに没頭するあまり周囲が見えなくなり、結局私はグループの仲間とも意思の疎通が取れてなかったことが判明します。しかも、家庭にお金を入れず給料の大半をグループ活動につぎ込んでいたため、妻からも離婚を迫られました。「もうどうでもいいや」。そんな最悪の精神状態で、ノートパソコン片手に深夜バスで上京。ところが、頼りにしていた東京の起業家にもそっけなくされ、やることなすこと全部ダメという状況でした。公園で人と会わずにいるのが一番居ごこちがよくなり、公園に寝泊りするホームレス生活が始まりました。 ―――その間、どうやって過ごしていたんですか?
兼元:ホームページ作成の仕事を紹介してもらい、なんとか食いつなぎました。ホームページはまったくの未経験でしたが、友人の協力を得ながら、少しずつ仕事を増やし、月30万円ぐらい稼ぐようになりました。しかし、そのお金はせめてものつぐないと思い、手元に1万円だけ残し、ほかはすべて名古屋の妻に送金しました。
その2年間、1日400円ぐらいで暮らしていました。だからものすごく痩せていて、山ごもり中の修行僧のようでした。考える時間だけはたくさんあったので、ヒントを得たQ&Aサイトのことを整理したり、「このままでいいのか」などと自問自答していました。おかげで物欲がなくなり、とても純粋になれました。極限の状況だった分、本質が見えたのかもしれません。 ―――その後起業なさいますが、デザイナー出身の社長は少ないですよね。
兼元:社長というのは、会社をデザインするデザイナーだと考えています。最初に勤めたデザイン会社時代、せっかく考えたデザインが、クライアントの社長に理不尽な理由で却下されたことがあるんです。今思えば、会社のデザイナーである社長の総合的な判断の結果だということが分かりました。
私が当社を設立するにあたってデザインしたのは、まず我々が人助けの集団であり、いわば「インターネットの国連」であるという理念をつくることでした。そして当社が魅力的な会社であるために、このペットボトルで作ったパーテーションのような、人の話題になり人が集るようなものや、株式を上場させることで社会的信用を確保するといった、大きな波及効果が得られる仕掛けを用意することでした。 ―――キャリアデザインという言葉があります。キャリア設計のヒントを教えて下さい。
兼元:人間は無数の細胞で構成されていますが、それが全部入れ替わるのに約3年かかるといいます。「石の上にも3年」という言葉は結構当たっていて、人が何かをやり始めてから、本当にそれが合っているか、合っていないか体で判断するまで3年はかかるんです。その意識がないと仕事で苦しんでいるとき、仕事が自分に合っているかばかり気になって、肝心の目標を達成するための行動に集中できなくなります。苦しいからといって転職してしまうと、また同じことを繰り返すだけ。本当は苦しい仕事こそ、壁を乗り越えるチャンスなんです。
プロフィール
<会社概要>
国内最大級のQ&Aサイト『OKWave』の運営しながら、そのノウハウを生かしFAQヘルプデスクソリューション『OKWave Quick―A』、Q&A形式の情報活性化ソリューション『OKWave ASK―OK』などを提供している。
日本初のQ&Aサイト『OKWave』。さまざまなジャンルの「質問」と「回答」が寄せられ、世の中のあらゆる問題の解決と、人と人の相互協力のリレーション作りを目指している。
オフィス風景。「ペットボトル」を組み合わせて作ったパーテーションがポイント。業務に集中する環境を備えながら、開放感を感じるオフィスレイアウトになっている。
バックナンバー
vol.33 高橋健志氏 (株式会社ベアーズ)
vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
vol.16 橋本雅治氏 (株式会社イデアインターナショナル) vol.15 田口弘氏 (株式会社エムアウト) vol.14 小方功氏 (株式会社ラクーン) vol.13 西野伸一郎氏 (株式会社富士山マガジンサービス) vol.12 安田佳生氏 (株式会社ワイキューブ) vol.11 森下篤史氏 (株式会社テンポスバスターズ) vol.10 遠山正道氏 (株式会社スマイルズ) vol.09 宋文洲氏 (ソフトブレーン株式会社) vol.08 高橋透氏 (株式会社ラストリゾート) vol.07 南場智子氏 (株式会社ディー・エヌ・エー) vol.06 出張勝也氏 (株式会社オデッセイコミュニケーションズ) vol.04 経沢香保子氏 (株式会社トレンダーズ) vol.03 菊川暁氏 (株式会社ガーラ) vol.02 松田公太氏 (フードエックス・グローブ株式会社) vol.01 穐田誉輝氏 (株式会社カカクコム) |