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――新卒で入社した銀行では、新規開拓を希望していたそうですね。 |
松田:最初に配属されたのは、稟議書を事務的にチェックする部署でした。ところがその実態は“雑用係”。ATMコーナーの現金の出し入れや清掃など単純作業ばかりでした。私がATMの修理をしたこともありますよ(笑)。研修で同期が集ると、いかに自分の業務に雑用が多いか痛感させられました。自分の成長を常に意識していただけに、悔しさと焦りを感じましたね。ただ、日常業務にも学ぶべきことはあると自分に言い聞かせ、ATMコーナーに現金を入れる作業も自分で時間を計り、5分でも早く仕事が終わるよう創意工夫しました。すると段々仕事が面白くなり、次第にレベルアップしたと感じるようになりました。 |
――次は都心の赤坂支店に異動しましたね。 |
松田:支店長に直訴して、念願の新規開拓を担当することになりました。しかし、担当になって1年ぐらいは、なかなか成績を上げられませんでした。経験も浅いのにいきなり現場に出たので、提案の的が外れていたのです。そこでふと振り返ると、相手のニーズが分かっていないと気づきました。まずは営業先の会社をもっと勉強すべきと考え、飛び込み先でパンフレットをいただいたり、社長が語る経営理念や思いに耳を傾けるようにしました。銀行の仕事は、財務情報が基本ですが、違う側面からアプローチしたのです。 |
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――逆転の発想でしょうか? |
松田:私個人が社長を好きになって、尊敬できるか、学べるかを中心に考えるようにしました。そうすれば情熱を込めて、会社や業界を調べるようになる。これは男女関係と一緒ではないでしょうか。相手の女性を好きになったら、相手をもっと知りたくなりますよね(笑)。社長を好きになれば、会社のニーズや資金の状況も、段々分かるようになってくるんです。それからは成績も徐々に上げられるようになり、優秀外交賞の受賞という結果を出すことができました。 |
――「給料の5倍稼ぐ」ことを目標にしたそうですね。 |
松田:今までデスクワークでしたし、数年で独立しようと思ってましたら、会社に恩返しするためにも、自分に高い目標を設定しました。明確な数値目標を定めたことで、目標達成に強くこだわるようになりました。銀行員は厳しいノルマもなく年収も高い。それだけに達成・未達成が一目瞭然である数値目標は、自分を奮い立たせるのに役立ちましたね。 |
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――銀行を辞めてからは、何をなさっていましたか? |
松田:貿易会社の社長となり、輸入業を行っていました。三和銀行の看板なしで、自分に本当の営業力があるか試したかったのです。米国からパソコンの周辺機器を輸入して、無謀にも一般家庭への訪問販売にチャレンジしました。始めはインターホンを鳴らしても誰も出てこないし、たまに出てきてもチェーン越しにドアをバンッと閉められてしまう。それでも100軒訪問するれば1人ぐらいは興味を持って買ってくれるものです。瞬時に相手の心をつかんだり、短い時間で私を好きになってもらうという“真の営業力”が磨かれました。個人的にはこういう泥臭い仕事も好きだったりします。苦しい思いをするほど自分が成長できると信じていますから。貿易会社時代は、コオロギ入りのチョコレートなども輸入しました(笑)
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――念願のタリーズ日本第1号店をオープンさせましたね。 |
松田:最初の数ヶ月は赤字続きでした。銀座の大通り沿いに店舗を確保して、十分事前調査を行い、月商500万円はいけると確信していました。ところが銀座のお客様はそう甘くはありませんでした。銀座だからこそ有名なお店に行きたがるのです。近所のスターバックスは大行列なのに、ウチにはお客様が全然来ない。ついにあと2カ月で“倒産”という危機に追い詰められました。 |
――ギリギリの状況ですね。 |
松田:仕入れ先にも支払いができませんでした。でも、そういう状況にもかかわらず、守りから攻めの姿勢に転換したのです。コーヒー屋の飛び込み営業なんて聞いたことがないと思いますが、手書きのチラシ片手に周辺の会社を営業して回ったんです。すると三越の方などが、徐々にお店にいらっしゃるようになりました。それがお店に活気を呼んで、通りを歩く人も釣られて入る好循環を生み、ついに黒字転換しました。開店資金で7000万円の借金を背負い、生きるか死ぬかという状況に追い込まれましたが、崖っぷちに立った人間こそ力を発揮するんです。 |
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――フェロー(※)の活躍も大きかったようですね。
(※タリーズでは社長からアルバイトまで区別なく「フェロー」(仲間)と呼び合う) |
松田:私が死ぬ気でやっている気持ちが伝わったから、彼らも真剣に手伝ってくれたと思います。彼らとは単にお店の運営やコーヒー豆の話だけではなく、本当にお互いの人生にも踏み込んだ話をしたんです。そして、2度とない貴重な時間をお店で過ごしているのだから、時給のためではなく、自分のプラスになる仕事をしようと訴えたんです。するとみんな仕事にのめり込んでいって、ついに社員となり幹部になった人もいます。以来当社は「最高の仕事が経験できて、一人一人の可能性が広がる職場を作る」を経営理念の1つとしています
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