―――起業する前の約12年間は、日本生命(日生)で働いていたそうですね。
森:最初は商社に入ろうと思ったのですが、先に日生で働いていた友人に「ものすごく楽で給料が高い」と聞いて入社しました。どうも体育会系は苦手なんです(笑)。最初の3年間は法人向け融資、次にニューヨークへ派遣され、帰国後は本社の財務企画室にいました。
そこで月次資金計画の責任者になったのですが、あれほどの大組織となると責任者といってもメ資料を作る係モに過ぎないんです。僕が資料を作ると何度も会議にかけられ、やっと最終決定が下りる。そういうのがすごく退屈で、毎日のように合コンばかりしてました。「今日は6時からJALだ!」とかいって、そそくさと職場を抜け出してましたね(笑)。そんなサラリーマン生活を過ごしていたときに、健康診断で「C型肝炎」が発覚したのです。 ―――肝硬変や肝がんに進行する恐ろしい病気だとか。
森:実は自分の父親も肝臓の病気にかかり、52歳の若さで亡くなっています。だから私も死を覚悟しました。その後100本以上の注射を打ち、副作用に苦しみながら治療を続け、数年かけてなんとか完治しましたが、この病気をきっかけに改めて自分の人生を見直すようになりました。やはり「人生は一回限り」です。仕事をするエネルギーに満ちているのは、30代から50代までのたった20年でしかありません。
ところがサラリーマン生活は、何か時間を消耗している気がしてなりませんでした。大組織の中ではやれることは限られていますし、金融機関は次々と新規事業を始めるような組織ではありません。たとえ出世競争に心血を注いだとしても空しいと思いました。そこで何か自分でやってみようと考えたとき、1番手っ取り早い手段が「自分で会社をつくること」だったのです。 ―――具体的なビジネスプランはお持ちでしたか?
森:独立してすぐ事務所を借りて、ピザ屋、クリーニング屋など、いろいろな事業を検討しましたが、1つに絞り込めないまま日数だけが経過してゆきました。支出だけを数える毎日でひどい落ち込みようでした。昔の上司や同僚に会って「今、何をやっているの?」と聞かれるのが一番辛かったです。「何をやるか考えているうちに会社を閉鎖したら、日本初の珍事かもしれないぞ」と言われ、もっともだと思ったし、確かにバカみたいですよ(笑)。
それで当時ブームの気配があった、アメリカのYahoo!やeBayといったインターネット企業の株式上場資料を取り寄せ、調べてみることにしました。その中で1番気になったのがネットオークションのeBay。彼らは借入金もなく在庫も持たないのに、ものすごい高収益を稼ぐ。それでオークションサイトを日本で展開しようと思ったのです。 ―――いよいよ本格スタートですね。
森:やることが決まったので、改めて資金集めに走りました。昔の上司や同僚に声をかけ「一生分の宝くじを買うつもりで僕に投資しろ!」と、ほとんど脅じゃないかと言われながら4000万円集めました(笑)。おかげでオークションサイトは立ち上がったのですが、今度は出品する商品がない。アメ横や秋葉原などに営業を仕掛け、商品集めに走り回りましたが、それでもなかなか上手く行きませんでした。
そんなとき西新宿で飲んでいて、ふと高層ビル街を見て思いついたのが、電気が点いていないホテルの空き部屋を売ることでした。これが高級ホテルの予約サイト「一休.com」の出発点。この分野に特化すれば、まあ3、5名ぐらいの社員で細々やっていけると思ったのです。ここまでこれたのは、まったくの偶然ですよ。 ―――ずいぶん控えめですね。起業家は「押し出しが強いタイプ」というイメージがありますが。
森:結局、自分のスタイル次第ではないでしょうか。将棋の「香車」のようにまっすぐ突き進む人もいれば、朴とつでおとなしい人もいます。前者は何を聞いても「立て板に水」のように答えますが、周囲に敵を作ってしまうことが多い。ところが後者はちょとと鈍いと見られがちだけど、誰にも疎まれず、信頼されるという面があります。どちらかというと僕は後者ですね。ロシアのことわざに「ゆっくり進んだ者が、最も長く進むことができる」という言葉がありますが、僕はこの言葉が好きです。
―――森社長は会社員、起業家どちらも豊富な経験をお持ちです。その経験を踏まえ読者にアドバイスしてください。
森:サラリーマン生活は、半径10メートル以内の人と上手くやることに尽きると思います。それが結局は、仕事のやりがいにも繋がってくるんです。その点僕はさんざん合コンにも行ったけど、目上の人にとってはカワイイ奴で、ニューヨークに行かせてもらったり、本社のエリート集団である財務企画室で仕事をするチャンスを頂きました。あえて敵を作る必要なんてないんです。そのためには自分の考えを正しく伝えること。それと自分のとりえをプラスに見せることが大切です。「とりえ」もオセロのコマように、ある人には「白」でも、別の人には「黒」に見えることがあります。万人受けするのは難しいんですが、なるべく「白」に見えるよう努力しましょう。どこに行っても嫌な上司、苦手な同僚はつきものだけど、それを乗り越えない限りどこに転職しても状況は変わりませんよ。
最後に大病を患った者として「人生は一回限り」だと、もう一度強調したいですね。若いうちなら失敗してもいくらでもやり直しがききます。何かに迷っているぐらいだったら、チャレンジした方がいいと思います。 プロフィール
1962年生まれ。86年上智大学法学部卒業、同年日本生命保険入社。89年からニューヨーク派遣、帰国後は本社財務企画室に。30代前半でC型肝炎が発覚し、数年間治療に専念する。98年プライムリンク(現一休)設立、さまざまなビジネスを模索し、高級ホテルの予約サイト「一休.com」を立ち上げる。2005年8月東証マザーズ上場を果たす。
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