―――まずは新人時代のキャリアについて教えて頂けませんか?
橋本:新卒でキヤノン販売に入社しました。配属先はコピー機など事務機器の新規開拓部隊。上司に「朝礼が終わったらすぐに外にいけ」と指示されていました。でも僕のやり方は、データベース重視の営業スタイル。お客様のコピー枚数とリース期間を必ず聞き出し、リース期限が迫ったお客様に集中攻撃を仕掛けていました。配属から少し経って徐々に成果も出始めていましたが、配属先の支店長は僕のやり方を気に入らなかったようです。新人としては異例のことですが、すぐほかの支店に飛ばされたんです。ところが、異動した直後に撒いた種が開花して、大型案件の受注に成功しました。異動先の支店長は大喜びでした(笑)。
―――なぜ4年で会社を辞めたのですか?
橋本:実家でホテルを経営していた父が、友人の連帯保証人になっていて、その返済を肩代わりすることになりました。資金繰りに苦しみ銀行に救済を求めましたが、その条件は僕が実家を手伝うことでした。とにかく人手が足りなくて、動ける僕が何でもやりました。結婚式があれば朝から送迎バスを運転して、披露宴の案内役も僕。「またあんたかいな」って笑われましたよ(笑)。
努力の甲斐あって売り上げはアップしましたが、やはり債務の額が大きすぎて、結局、和議を申請することにしました。そのとき役立ったのは、キヤノン時代、率先してクレーム対応を引き受けていたこと。和議を申請すれば当然、債権者が烈火のごとく怒ります。そんな相手にちょっとでもたじろぎ、相手に有利な条件を飲めば、和議スキーム全体が崩れる恐れがあります。僕はクレーム対応に慣れてましたから、冷静に対処して上手くスポンサーに引き継げたと思います。 ―――その後サラリーマンに戻ったんですね。
橋本:「やっと戻れた。一生サラリーマンやるぞ!」って感じでした。マルマンに転職したのですが、同社創業者・片山豊氏の肝いりで、幹部候補生を年収1000万円以上で採用すると聞いて応募しました。当時は何かと資金が必要で、正直な話、お金に釣られました(笑)。
―――3年で役員就任というスピード出世でしたね。
橋本:でも僕が1番カリスマ創業者に歯向かった男かもしれません。片山氏は先見の明があり、常に時代の先を読む経営者でしたが、ときに"先読み"しすぎていました。今でこそインターネット取引は常識ですが、彼は当時から取引はすべて電子化すると考え、僕に営業の人員削減案作成を命じました。僕は仲間の200人を100人に減らす苦心の案を提出したのですが、片山氏はさらに40人にしろというんです。さすがに僕も譲れないと大ゲンカになり、結局それで冷や飯を食わされることになります。
ところがしばらく経つと時計事業が不振に陥り、事業部長が辞める事態となりました。そのとき「橋本、お前がやれ」と、再び僕に白羽の矢が立ったのです。突然の指名でしたが、自分がやるんだったら何かできるという自信だけはありました。その後短期間のうちに、商品開発を一新しました。 ―――事業でさんざん苦労したのに、再び起業したのはなぜですか?
橋本:事業はもうやりたくなかったんですが、旧態然としたモノづくりを打破するには、ゼロからスタートしなければ実現できなかったのです。これまで日本の製造業の発想は、機能と価格で考える「工場」の発想でした。ところが時計がローテク製品となった今、求められているのは感性やエモーションを喚起するプロダクト。だから当社は、ほかのメーカーが左を向けば右を向き、他社が前に進めば後ろに進むぐらい、オンリーワンにとことんこだわっています。
ただし物事には順序があります。最初に当社が手掛けたのは、海外メーカーの製品をデザイン変更して販売することでした。これはゼロからデザインして作るのに比べ「創造性」は低いものの、開発費が掛からず確実に売れるから「経済性」が高い。最初は販路を開拓したり、財務的な基盤を作る基礎作りが大切だと考えました。その基盤が完成してメシが食えるようになってから、徐々に理想の商品にチャレンジしました。最初から理想を追い求めるから失敗するんですよ。 ―――多くの転機を経験した橋本社長から、転職を考えている読者にアドバイスして頂けませんか?
橋本:転職先を選ぶときには、そこで何ができるのか真剣に考えてください。特にその会社のポリシーを十分調べるべきだと思います。例えば、その会社がどんな社会貢献に対する考え方を持っているかなど、自分の考え方と照らし合わせながら、事前に確認しておくべきしょう。
転職にはパワーが必要だと思います。だから中途半端な気持ちでいると、周囲に引き止められ思いとどまることが多いのでしょう。だけど人生は1回限りです。自分が納得できる仕事にこだわってください。僕も起業したとき年収が半分になったけど、やりたいことをやっている実感は数倍大きかったですよ。 プロフィール
1961年大分県生まれ。慶応義塾大学卒業後、キヤノン販売入社。87年から実家が経営するホテルの支援に帰郷。再建に尽力するが、債務過多のため和議申請。92年マルマン入社、時計事業部長、取締役を歴任。95年イデアインターナショナル設立、代表取締役社長就任。
「TO:CA」薄い木の板を透過してデジタル時刻表示が見える、斬新なデザインの時計。
「Chimney」煙突のような形をしたユニークな加湿器。インテリアとしての価値も高い。
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vol.32 宇佐神慎氏 (株式会社翔栄クリエイト) vol.31 宮崎陽子氏 (株式会社ギャレリアコレクション) vol.30 吉原直樹氏 (株式会社アルテ サロン ホールディングス) vol.29 小松武司氏 (株式会社サティスファクトリーインターナショナル) vol.28 本庄恵子氏 (株式会社ヒューマンビークル) vol.27 梅澤英行氏 (株式会社ティー・ユー・ビーアソシエイツ) vol.26 永井好明氏 (アールプロジェクト株式会社) vol.25 車田直昭氏 (ドットコモディティ株式会社) vol.24 岩本眞二氏 (スタイライフ株式会社) vol.23 兼元謙任氏 (株式会社オウケイウェイヴ) vol.22 小室淑恵氏 (株式会社ワーク・ライフバランス) vol.21 渡邉哲男氏 (比較.com株式会社) vol.20 吉田英治氏 (株式会社フレッシュテック) vol.19 松田憲幸氏 (ソースネクスト株式会社) vol.18 加藤義博氏 (株式会社アイケイコーポレーション)
vol.17 森正文氏 (株式会社一休)
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