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――遠山社長は、六本木ヒルズやコレド日本橋など、話題のスポットで人気を集める『スープ ストック トーキョー』の経営者ですが、三菱商事の新人時代は意外にも、建設関係の仕事をしていたそうですね。 |
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遠山:「カタチに残る仕事がしたい」と思い、志願して入ったのが建設部でした。都市開発などを手掛けていて、私は天王洲の再開発などを担当しました。倉庫街だった地域に3年越しで駅を建てたり、役所と折衝して高速道路の上に橋を架けるといった仕事です。プ
ロジェクト期間がとても長く、毎日の売り買いなどもありませんから、請求書を書いたのは2年で1回ぐらいでした(笑)
思えばこのときの経験も、経営者になった今、役立っていると思います。都市開発の仕事には日常の「定型業務」がありません。すべて自分たちで考え行動しなければなりませんが、経営もなかなか"定型"ではいきませんから。 |
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――次に異動したのが全く畑違いの「情報化推進室」でした。 |
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遠山:特に希望したわけではなかったんです。当時は三菱商事でも1部署にパソコンが3台ぐらい置いてある程度で、私も特にITに詳しかったわけでもありません。ところが実際に電子メールやパソコン通信に触れてみると、「何て便利なツールだ!」と感動したんです。「世の中が一変する」と直感した私は、94年に『電子メールのある1日』という物語風の企画書を書き、社内に1人1台のパソコン導入を訴えました。 |
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――そのレポートはどんな内容でしたか? |
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遠山:商社の課長を主人公に、パソコン環境が整ったオフィスで、メールをフルに活用している場面を描きました。例えば、課長が帰り際に「今日の麻雀の相手」を検索すると、候補者が6人ぐらいヒットして「誰にしようかな」って選ぶとか(笑)。ほかにも社内ア
ンケートを瞬時に集計するなど、商社マンがイメージしやすい具体的な活用シーンをたくさん書きました。
すると周囲の人がみんな喜んでくれて、人づてで当時の社長にもこのレポートが渡りました。もちろん、すぐに1人1台のパソコンが実現したわけじゃありません。しかし、IT化が進んだ新しい時代の雰囲気を共有してもらったことに、大きな手ごたえを感じました。
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――「情報産業部門」への異動は、志願したのですか? |
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遠山:ちょうど社内公募で求人が出ていたので、自分から手を挙げて異動しました。その部署で私は、学校法人や自治体などにIT導入のコンサルティング業務を行いました。しかし自分自身、新聞などで聞きかじったことの受け売りをしているようで、「こんなんで
いいんだろうか」と自問自答する毎日でした。
ちょうどその頃、学生時代から続けてきたアートワークの集大成として、個展の開催を思い立ちました。それから1年以上かけて、約70点もの作品を土日や出勤前の時間で描き上げ、個展は作品がすべて売れ大きな成功を収めました。絵を描くプロセスには、自分で
描いてサインする充実感があります。しかも、自分が納得して提案したものが他人に評価され、自分に喜びとして帰ってくる。そんな"手ざわり感"のある仕事をしたいと思ったのですが、やはり絵だけで食べていくのはとても無理―――。
そこで、そういう仕事を三菱商事の仕事の中で取り組む方法はないかと思案しました。いくつか考えた中で、自分の目線や"手ざわり感"のある仕事といえば、「小売」や「食」の仕事じゃないかと思ったのです。三菱商事は日本ケンタッキー・フライド・チキン(K
FCJ)の株主であり、自分のいる部署とも少なからず接点がありました。私は頼んでKFCの担当になり、無理を言って結局、KFCJに出向させてもらうことになったのです。 |
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――出向は簡単にできるものではないと思いますし、あまり良いイメージがありませんよね。 |
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遠山:確かに、当時はまだ本社が一番で、出向は本流から外れてしまう印象があったかもしれません。でも私は、とにかくリテールがやりたくて、ぜひ行かせてもらいたかったのです。あまり私は戦略家だったり、根回し上手ではないんですが、そのときばかりはKFCJにいた知り合いに「ぜひ遠山さんが必要だ」と言ってもらい、出向にこぎ着けました。 |
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――KFCJではどんなお仕事をなさっていましたか? |
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遠山:新規事業の開発が任務で、従来型のKFC店舗を高速道路のサービスエリアなどに出店する仕事でした。そのために併設する「おそば屋」や「定食屋」もKFCJが運営を手伝うことになり、私も一時期、富山県のサービスエリアで、「おそば屋」のオペレーシ
ョンをしたり、ソフトクリーム作りが難しくて随分ロスにしたりしました(笑)。とても貴重な経験でしたが、こうした任務であれば、自分よりKFCJに詳しい人の方が向いていると思いました。それから毎晩、自分らしい発想で何か新しいことにチャレンジできな
いかと、必死で考え始めました。
KFCJはアメリカ生まれの外食ビジネスでしたから、何事もビックサイズで多額の投資が必要なんです。キッチンは大きいし、厨房器具や内装も特注品が多いんです。もっと既製品を使ってコンパクトかつシンプルに店舗を低コストで作り、その分センスや知恵でカ
バーできる業態がないだろうかと考えていたんです。
そんなある日、何人かの友人と食事をしているときに、女性が1人でスープを飲むシーンがハッと頭に思い浮かびました。「スープっていいかも!」と直感したので、そのイメージをストーリー形式でまとめたのが『スープのある1日』という、『スープ ストック ト
ーキョー』の原型となる企画書だったのです。
会社から頼まれた仕事ではなかったんです。でも、頼まれていない仕事のほうが、ウズウズしてやりたくなりませんか? できれば"アジト"でも構えたい気持ちでしたよ。KFCJの中でできないことに挑戦するのが、自分の役割だと信じていたのです。 |